バスケットボールとの歴史

バスケットボールは一人の人物によって考案された数少ない競技のひとつである。考案者はアメリカ、マサチューセッツ州スプリングフィールドのYMCAの訓練校の講師を務めていたカナダ人のジェームズ・ネイスミスで、彼の考え出したルールが現在のバスケットボールの原型になっている。初めての公式試合はその大学で1892年1月20日に行なわれた。ネイスミスは、ニュー・イングランド地方の長い冬に外でスポーツ(アメリカンフットボール)ができない間、室内でアメリカンフットボールと同じくらい激しく行えるスポーツを求めていた。そこで体育館のギャラリーに桃を入れる籠(かご)を下げて、そこにサッカーボールを入れ合う、今のバスケットボールの原形が生まれたのである(考案された当初は桃の籠にボールが入りショットが決まるたびにジャンプボールをして試合を再開していたが、その後、数度にわたるゴールの形状の変遷にあわせてルールも変遷し最終的に現在のような形に定まった)。考案当初には逸話が多く存在し、人数を設定していなかったため100人近くでプレーする高校が出た、籠を取り付けた2階には観客がおり、ゴールを妨害することがあった、などのものがある(リングの後部に設置されるバックボードは本来は観客による妨害を防止する目的で設置されることになったものであるという)。

バスケットボールは当初から人気があり、スミス大学の体育教師を務めていたセンダ・べレンソンによって女子バスケットボールが始められるなど、その年のうちにアメリカ国内のあちこちで競技されるようになった。そしてYMCAを通じ世界各国へ急速に広まり、1904年から1924年までオリンピックの公開競技として行われた。1932年6月には国際バスケットボール連盟(FIBA)が結成され、1936年のベルリンオリンピックから男子オリンピック正式種目に採用された。また、1976年のモントリオールオリンピックから女子正式種目にも採用された。

アメリカ国内では、1946年に男子プロバスケットボールリーグBAAが創設され、3年後NBLと合併しNBAが誕生した。1967年に、対抗するリーグABAが設立され地位を脅かしたが、1976年にABAは消滅し、NBAは現在も世界最高峰のリーグとして君臨し続けている。NBAには、ジョージ・マイカン、ビル・ラッセル、ウィルト・チェンバレン、カリーム・アブドゥル=ジャバー、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、マイケル・ジョーダンなどのスター選手が所属し、1992年のバルセロナオリンピックではドリームチームを結成、圧倒的な強さで優勝を果たし世界中を魅了した。また、1996年には女子プロバスケットボールリーグWNBAが設立され、シェリル・スウープス、リサ・レスリー、ローレン・ジャクソンなどのスター選手が台頭した。

NBAやオリンピックの活性化に伴い、近年バスケットボールの国際化が急速に進んでおり、FIBA発表では1998年時点で世界の競技人口は4億5000万人、FIBAに加盟した国と地域は2006年8月時点で213まで増加した。

日本における歴史

1891年、スプリングフィールドのYMCAの訓練校で行われた世界初の試合に参加した石川源三郎が初めてバスケットボールをプレイした日本人と言われている。日本にバスケットボールが伝わったのは1908年で、YMCAの訓練校を卒業した大森兵蔵が東京YMCAで初めて紹介した。そして1913年にYMCA体育主事のF.H.ブラウンが来日し、関東、関西で競技の指導に尽力し普及していった。

1924年には、早稲田大学、立教大学、東京商科大学が全日本学生籠球連合を結成。全国各地で対抗戦が行われていった。そして、1930年に日本バスケットボール協会(JABBA)が設立され、普及と発展及び競技レベルの向上に努めている。

1990年から週刊少年ジャンプでバスケットボールを扱った漫画『スラムダンク』が連載開始、1996年の連載終了後も売れ続けて1億部を超える大ヒットとなり、バスケットボールの競技人口を押し上げるなど、日本バスケットボール界に大きな影響を残している。またその功績から原作者の井上雄彦は、日本バスケットボール協会から特別表彰されている。バスケットボールは漫画編集者の間ではひとつのタブー(ヒットしない)とされていたが、スラムダンクの後には『あひるの空』『黒子のバスケ』など様々なヒット作も出るようになった。

2005年には日本初のプロリーグbjリーグが発足したが、他国と比べて遅く、アジアの各大会で苦戦を強いられている。日本代表は、女子が2004年のアテネオリンピックに3度目の出場を果たしたが、男子は1976年のモントリオールオリンピックを最後に出場は途切れている。

(引用:Wikipedia)